法  話

HBCラジオ「曹洞宗の時間」(毎週土曜 午前6時15分〜6時19分)にて放送された、
北海道各地のご住職の法話を掲載しております。
また、実際にラジオで放送された音声データの配信も行っております。

ポッドキャスティング 配信データ

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  1. 2009/12/26
  2. 2009/12/19
  3. 2009/12/12
  4. 2009/12/5
  1. 2009/11/28
  2. 2009/11/21
  3. 2009/11/14
  4. 2009/11/7

2009年12月26日放送

今年も、はや年の瀬となり、気ぜわしい季節を迎えました。
道内各地のスキー場もオープンして、それなりの賑わいをみせているようですが、以前ほどではないようです。最近はスノーボードが若者の間では流行していますが、スキーの楽しさと素晴らしさはまた格別です。

わたしは、三〜四年前までアルペンの競技スキーに出場するジュニア選手の世話をすることがありました。
スキー競技で良い成績をおさめるためには、選手個々の能力や技術を向上させることは勿論ですが、同時に雪のコンディションとワックスの相性をよく考えなければなりません。どんなにスキー競技の能力が高くても、スキーの板に塗るワックスの判断を誤ると台無しです。

これは私たちの人生にも言えることです。近頃、適応障害で苦しんでいる方が多いと聞きます。これは、社会環境や人間関係に自分をなじませることができないということですが、スキーのワックスと雪の関係と同じことであるといえます。どんなに高い能力と立派なスキー板を持っていても、雪質とそれに合うワックスを選択できなければ、実力を発揮できません。人間関係などで悩んでいる人は、このワックスを忘れていることが多いものです。

私たちにとってスキーのワックス、つまり環境に適合するために必要なものとは一体なんなのでしょう。
その一つに、他人に対する和やかな顔と、暖かい愛情のあることばがあります。
この一年をしめくくるにあたり、「終わり良ければ全てよし」のことばどおり、年末の時季は笑顔とやさしい言葉を心がけて、好い歳をむかえたいものであります。


由仁町 常福寺
山川 章順さん


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2009年12月19日放送

皆さんはこの一年どんな一年だったでしょうか。何か新しい出来事はあったでしょうか。
良い事の多い一年でしたでしょうか。それとも逆に辛い事の多い一年でしたでしょうか。
人によって様々であった事と思います。

人生は楽しく幸せで、わくわくする事ばかりではありません。また逆に辛い事だらけでもないというのが現実でしょう。ですから自分には、これといった事もなく、無事に一年が過ぎお正月を迎えられるのが一番幸せである。と言う人もいます。これはこれで一面の真理を含んでいるのかも知れません。

この言葉に似た禅の有名な言葉に「無事是貴人(ブジコレキニン)」という言葉があります。
ことなしと書いて無事、貴い人と書いて貴人と読むのですが、これは「無事に日々を過ごす事がめでたく、その様に出来る人が貴い人」という意味に思われがちですが、真の意味は若干違います。

ここで言う「無事」とは、幸せだとか不幸せだとか善だとか悪だとか計らない、求めない事を言うのです。また、「貴人」も貴族や名士といった人達の事ではなく、貴い境地、禅語で言う所の「安心(アンジン)」これはアンシンと書くのですが、不安が無く揺るぎない所を得た人の事ですから、本当の意味は「外に幸せや安心を求めるのではなく、それらを止めて自己に向う所に真の安心がある」という様な意味になるのです。

「無事是貴人」の真の意味をかみしめながら、自分は今年、アンジンに少しでも近づけたのであろうか。来年は更に近づけるのであろうか。そんな事を思いながら、年の瀬を過ごす今日このごろであります。


札幌市 龍松寺
池田 賢一さん


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2009年12月12日放送

先日、とある講習会にお招きをいただき、その会場となった温泉に伺ってまいりました。
その温泉大浴場の脱衣所にかかっていた、一枚の水墨画に大変感銘を受けました。
その絵には、墨染めの衣を着たお坊さん二人が、それぞれ茶碗を片手にお酒でしょうか、お茶でしょうか、酌み交わしながらニコニコと話し込んでいる様子が描かれておりました。
そして特徴のある字体でこんな言葉が書かれていたのです。

「人間は泣きながら生まれてきたんだよ。長い人生だもの、泣く時もあるさ。その度に生まれ変わるんだな、きっと」

確かに産声をあげなければ私たちの今の命はありませんでしたから、泣きながら生まれて来たに違いありません。
またいくら大人になったとはいえ、肉親との悲しいお別れに涙された方も沢山おられる事と思います。
辛くて苦しい時、悔しくて悲しい時、様々な人生の場面場面で、泣きたい時も沢山沢山あった事でしょう。
その時に流す涙を、生まれ変わるための涙だと受け止めるのは、決して簡単で容易い事ではないと思います。けれど「今泣いたこの後生まれ変わるんだ」と思えたら、気持ちの上では随分と救われるに違いない、そう思っています。

涙の後に「さぁー、生まれ変わって新たに人生を歩んで行こう」と決意する事を発心と言います。また、菩提心を発こすとも言います。
曹洞宗をお開きいただいた道元さまは「菩提心を発こす事を何万回でもしていきなさい」とお示しされております。
人生泣いたり笑ったり、辛い時こそ前向きな気持ちで過ごしていきたいものと存じます。


夕張市 禅峯寺
安藤 英明さん


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2009年12月5日放送

来たる12月8日は仏教を開かれたお釈迦さまが悟りを開かれた成道(ジョウドウ)の日であります。
ジョウドウとは道が成ると書きます。道を得て仏と成ること、仏の悟りを完成することです。
曹洞宗ではこの日を記念して、法要を営んだり、坐禅修行を行います。
お釈迦さまは長い修行を経て、最後には菩提樹の下で坐禅の行に入られ、12月8日の朝、明けの明星を見て悟られたと言われております。
お釈迦さまにとってこの日の朝は、悟りを開かれ仏陀と成った自分との最初の出会いであり、仏陀としての人生の始まりでありました。

さて、みなさんは今朝どのような目覚めをされましたか?
「今日は何と気持ちのよい朝だろう」でしょうか?「眠たくてなかなか目が開かないなぁ」でしょうか?
朝は一日の始まり、今日という人生の始まりです。今日の自分との最初の出会いになります。
わたしたちも朝目を覚ましたなら、新たな自分に生まれ変わった心持ちで、今日一日の勤めに精進する自分自身に向かって「おはよう」と挨拶をし、
ご先祖さま仏さま、そして全ての人々に心を込めて「おはようございます」と挨拶をしたいものです。

『言葉は心の足音』と申します。朝の挨拶から感謝の足音を響かせましょう。感謝の心は「おはようございます」の挨拶から始まります。
言葉にしなければ思いは何も伝わりません。どのような一日を過ごそうとも、もう今日という日は始まっております。

さぁ、精一杯の思いを込めて、全道のみなさん「おはようございます」。


北見市 高台寺
佐伯 至純さん


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2009年11月28日放送

私のお寺では年に一度、小学校高学年の子供達二十人前後が日曜から金曜日まで五泊六日をお寺で寝泊まりし、班分けをして食事の支度や片付け、掃除など日常生活の全てを高校生ボランティアの力を借りながら自分達の手で行う「寺子屋通学塾」というものを行っています。
その中で、毎朝、班ごとに三十分程坐禅をします。
日程終了後、子供達のこんな感想文がありました。
「毎朝の坐禅は足も痛いし、時間がとても長く感じられて最初は大変だった。でも慣れてくると心が落ちついて気持ち良く思えた。時々は静かな時間も必要だと思った。」
この感想文には、坐禅によって心が調えられてゆく様子がうまく表されています。

さて、坐禅をする時は、なるべく静かな場所を選び、仕事の事や家庭の事情を一休みし、損得や善悪を考えず、ただひたすら坐る。
腰骨を立て背筋を真っすぐにして姿勢を調え、吐く息、吸う息をゆっくり深く丁寧にして息を調える。そして、それによって心が調えられていきます。
夜寝る前に行うと安眠が訪れ、朝に坐ると一日が清々しく始まります。足を組めない方は正座でも椅子でも構いません。
道元禅師さまは、坐禅は悟ることを目的にするのではなく、安らかな修行としての坐禅ですよとおっしゃっています。
まずは一日の中で少しの時間でも静かに坐る習慣を身に付けたいものですね。


浜頓別町 永生寺
加藤 智裕さん


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2009年11月21日放送

先日、新聞に「価格安定へ。ふぞろいの野菜達が出荷」という記事がありました。
「ふぞろいの野菜」とは大きかったり小さかったり、形や色が悪い、曲がっている、傷があるなど普段は市場に出荷されず処分される規格外の野菜のことです。
しかし、規格品と同じように手塩に掛けて育てられた事には変わりなく新鮮で味・安全面には全く問題はありません。

この「ふぞろいな野菜」が取り上げられた理由は他でもありません。今年は七月の長雨、低温、日照不足で全国的に農作物は大変な被害を受けました。
先っぽが真っ黒に染まり倒された秋撒き小麦、雨に流された玉葱、花が枯れたジャガイモなど例年に無い「異変」を身近な所で目の当たりにしました。
少しずつ野菜の高騰、品不足がテレビ、新聞などで報道され始め、「ふぞろいな野菜」が注目されたのが八月中頃でした。

そんな時、私達は野菜を手に取り「高いなぁ」と不満を抱く前に生産者の方々を想ったでしょうか。
いびつな野菜を避ける前に生産者の方々の手間、苦労を想ったでしょうか。
振り返ると「苦労を強いられているのは消費する側」だとする身勝手で自己中心的な自分にふと気付かされたのです。

「功の多少を計り彼の来処を量る」この言葉は自分の口に食物が入るまでにどれだけの人々の手を経て此処に到るのであろうか。その人々の想いも一緒に頂こうとする『感謝の心』を教えてくれます。
食事の時は心から唱えたいものです。「いただきます」「ごちそうさまでした」


由仁町 由仁寺
高山 和成さん


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2009年11月14日放送

今、ラジオを聞いておられる人の中で動物が好き、という方は沢山いると思います。
多くの人が、癒しを求めて犬・猫などのペットを飼っている。

旭川の旭山動物園で一年の入場者数が日本で一位に成って数年がたち、TVでも動物の番組が視聴率を取っています。
TV・CM・映画などでは、困った時には子供と動物というのがあるそうです。
可愛い子供・動物を出演させて高視聴率にするんだそうです。
私も、ごたぶんにもれず犬が大好きです。
本・雑誌の表紙に可愛い犬が出ていると、つい目がいき手に取ってしまいます。
よく動物好きに悪い人は居ないなどと根拠の無い話を聞きますが、確かにイッケン恐そうな人がペットの犬に赤ちゃん言葉で話している姿を見ると悪い人など居ないんだろうなぁ〜と、犬好きの私は確かに思ってしまいます。

動物は、人の言葉で会話する事が出来ません。
だから飼い主は、ペットの気持ちを思いやって優しく接します。
多くの人がペットに対する様に、他人にももっと優しく思いやる気持ちを持って接する事が必ず人には出来るんだと思います。
ラジオを聞いてる皆様、よければ今日一日優しい思いやりの心を持って人と接してみて下さい。


日高町 閑山寺
菊池 慈海さん


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2009年11月7日放送

私は、週に5〜6日、町の小・中学生にサッカーを指導しております。
その指導の中でいつも私は、「なぜ失敗したのか、なぜ上手くいかなかったのかを考えなさい。そして、改善できるように努力しなさい。改善するということは、今よりも、もっとよりよい自分になるように、自分を変えていくことだよ。」と伝えています。
そして、自分の失敗を自覚し、反省し、改善しようと努力する、その毎日の積み重ね、一日一日の日送りが、よりよい自分、よりよい人間を作りあげることになると伝えています。

子供達が、毎日毎日、自覚し、反省し、改善しようと努力して、練習に取り組む姿勢には、輝きに満ちあふれた美しささえ感じることがあります。
私は、このすばらしい子供達にサッカーを通して、「よりよい生き方をする。」ということの大事さを逆に教えてもらった気がしてなりません。

それに対して、我々大人は、どうなのでしょうか?
毎日の日送りの中で、自分の在り方、自分の生き方をを自覚し、時に反省もし、よりよい生き方、よりよい毎日を積み重ねているだろうか?我々、大人が実践していないのに、この先の未来を背負っていく子供達に、何を伝えることができるのだろうか?
今、私の目の前には、明るい笑顔で、懸命にボールを追いかけ、日々努力を重ねている子供達がいます。我々、大人も負けてはいられません。今日の自分よりも、もっとよりよい明日の自分を求め、日々改善して、よりよい生き方を実践していかなければならないのではないでしょうか?
少しずつでも、改善をして、よりよい生き方をする、そんな志はいつも心に持っていたいものです。


江差町 観音寺
松村 直俊さん


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